我が家のおじいちゃんとおばあちゃん
それは、ぼくがまだ小学生で、学校からの帰り道です。小学校二年生だったと思います。自分の背中にはまだ大きめのランドセルを背負って、とぼとぼと一人歩いておりました。そんなぼくの元へ、我が家のご近所に住む、おばあちゃんが杖をついて近づいてきました年齢は八十代だと思われます。
ぼくは面識はありませんでした。が、彼女はぼくの事を知っているようでした。彼女はぼくに近づくなり、開口一番に言いました。「おたくのおばあちゃん、あれは、性格が悪いわね」ぼくは突然の出来事に驚きました。が、すぐに思いました。やっぱり、そうなのか・・・。
薄々は感じていたのです。我が家のおばあちゃんは、性格に難がある人なんじゃないだろうか?ただ当時のぼくは幼く、自分の家族に性格が難があるだなんて、判断することも、認めることも出来てはいなかったのです。悲しいことです。自分のおばあちゃんの性格に難があるというのは・・・。
ぼくはその日の帰り道、そのまま近所のおばあちゃんと、我が家のおばあちゃんについての会話を続けました。なんでも、我が家のおばちゃんは、近所の同年代の方々から、多少なり嫌われ気味とのこと。アレなのです。基本的に意地悪なのです。自分のことだけを考えて生きてらったったりするタイプなのです。ぼくは心の中でおばあちゃんにあだ名をつけてみました。『村一番の嫌われもの』哀しいことでした。そのあだ名がなんだかしっくり来たように感じてしまったのです。
我が家のおばあちゃんは、頂いた美味しいお菓子や果物などを、他の家族に食べさせることなどはなく、自分の部屋に隠してしまい、最終的に腐らせてしまうとう傾向がありました。そしてその根幹には、あまり可愛らしさを感じない類の悪意がありました。う~ん、なんでしょう。自分の優位性を示すために、他人を罵倒するタイプの人間だったのです。そしてどこか昆虫の如き、感情表現のふるまい。同居していたぼくの母は、嫁姑問題にて、多大なダメージを受けていました。
『村一番の嫌われもの』そんなあだ名はまだまだ可愛らしい表現なのかもしれません。敬老会で、地区から頂ける花を小学生に突き返されていました。言い分はこうです。「本当は後で、お金を徴収する気なんだろ?」なんだかもう、悔しいです。昔話でいうところのイジワルばあさん的な感じでしょうかね。
近所のおばあちゃんはぼくとの別れ際に言いました。「でも、おたくのおじいちゃんは、たいしたもんだよね」ぼくは頷きました。当時のぼくは子供ながらに、我が家のおじいちゃんのことを、『割かし人格者』と思っておりました。
生前おじいちゃんは言っていました。※現在、我が家のおじちゃんとおばあちゃんは、鬼籍に入っていります。「自分が辛いときに、人にどんな対応が出来るかでその人の価値は決まってくるよ」的なこと。そして、あれはぼくがまだ、反抗期まっさかりの中学二年生時代。何かをやらかしてしまったぼくは、おじいちゃんと二人っきりになる時間がありました。
車の中でした。おじいちゃんは中学生のぼくに、人間の在り方的な話をしてくれました。ぼくはその素敵な考え方に衝撃的でした。深く反省しました。自分の行動を悔い改めることを考えました。ただ、あまりの衝撃に、おじいちゃんが言ってくれた、金言的な話の内容を忘れてしまいました。すいません。衝撃的だったとう事実は覚えております。ぼくの血肉になっているはずです。ありがとうございます。いずれにせよ、一人の反抗期の少年の心に突き刺さるような、素敵な考えをお持ちの方だったのです。
ただ、そこで中学生のぼくは、疑問に思いました。何故?『村一番の嫌われもの』と『割かし人格者』が結婚するに至ったのだろうか?確かに、足して二で割ったなら、バランスはいいのかもしれない?しかし、何故だろうか?ぼくは疑問でした。中学生のぼくは、恥ずかしさも相まって、そんな質問を自分のおじいちゃんには出来ませんでした。
やがて、おじいちゃんとおばあちゃんの全ての孫が成人になりました。ぼくは各孫たちに、我が家のおじちゃんとおばあちゃんは印象を尋ねてみました。結果はだいたいこうです。「おじいちゃんはいいけど、おばあちゃんはちょっとあれだよね・・・」
何故ふたりは結婚するに至ったのだろうか?そこにはなにか、ドラマチックな展開があったのだろうか?
ぼくはおじいちゃんに聞いてました。なんでも、おばあちゃんとの結婚はお見合いであったとのこと。そして、なんでも、おじいちゃんは自分の母親に、おばあちゃんとの結婚を反対されていたとのことでした。反対の理由を尋ねてみたところ。性格に難があったからだという話・・・。
ぼくは聞いてみました。「なんでおばあちゃんと結婚したの?」おじいちゃんは言いました。「ほかにいなかったんだよ」
えっ?
・・・。
いやいやいやいや、いや。
何度聞いても、おじいちゃんは頑なでした。「ほかにいなかったんだよ」との話でした。腑に落ちねぇなあ~。とか思っていました。が、それはなんかおじいちゃんの決意なのかもしれません。深く追及するのは失礼なのかと、ぼくは質問をやめました。
やがて、おばあちゃんは認知症を患い、施設に入ることになりました。もう、孫たちのことを認識することは出来ません。おじいちゃんのことも誰だか分からなくなってしまいました。ただ唯一、毎月お金を払いにいく、母には感謝の言葉を述べ、自慢の嫁だと話していました。
おじいちゃんはボソッと言いました。「じいちゃん、英語が話せるようになりたい」
・・・ぼくは最初、英語が話せるようになれば、おじいちゃんはおばあちゃんとまた、会話が出来るようになるんじゃないだろうか?そんな非現実なことを思い始めたのかと思いました。でも、しばらくして考え直しました。
おじいちゃんは新しい出会いを考えたのでしょうか?おじいちゃんはショックから、心にもないことを口走ってしまったのでしょうか?おじいちゃんはおばあちゃんと結婚したことを、多少なり後悔してみたのでしょうか?
ぼくにはわかりません。が、「自分が辛いときに、人にどんな対応が出来るかでその人の価値は決まってくるよ」的なことだったのな~と思いました。
結婚生活、六十年という話です。当事者じゃないとわからない感情もあるのかな?とか考えつつも、少なくとも、おばあちゃんはおじいちゃんと結婚して幸せなほうだったのかな~とか、思ってみました。そうは言いつつも、お互いに持ちつ持たれつもあったりしたのかもしれません。
結婚生活。60周年の記念は、ダイヤモンド婚式というそうです。ダイヤモンドの石言葉は「永遠の絆・純潔・不屈」不屈。そうですね。不屈。ろくじゅうねん、時間にすると、525600時間。もう、イメージつきませんね。たいへんですよ。
最後まで読んで頂き、
ありがとうございました。