なんだろう?なんかグッときた

雑記ブログです。タイトルだけでも覚えて帰って下さい。

ふるさとを考える!ぼくは大人になっているのだろうか?

『私のふるさと』自分のふるさとについて考える!

 

まずは、ふるさとという言葉の意味を調べてみた。

このような意味のようだ。

 

ふるさと:意味

その人に、古くからゆかりの深い所。

生まれ(育っ)た土地や以前に住み、またはなじんでいた場所。

 

何故このような回りくどいことから書き出したかというと、ぼくは自分のふるさと、生まれ育った町が好きではないからだ。ふるさとの意味に自分の生まれ育った場所が入らなければいいな~なんて、密かに思っていた。が、やっぱりそうですよね。自分の生まれ故郷はふるさとですよね。だって、故郷(こきょう)と書いて、ふるさととも、読みますもんね。

 

 

ぼくは生まれた町で、中学卒業までの15年間を過ごした。閉鎖的な町だったと思う。みんな町から出ていかないから、友だと家族と友だちの家族が親戚です。そんなことが、珍しくないどころか、多発していた。

 

本屋もなかった。最寄り駅までは20キロ近く離れていた。中学時代、自転車に乗るときはヘルメットの着用を義務付けられていた。学校の帰り会で、クマが出没しているらしい、念のため、自転車のベルを鳴らして帰りなさいと言われたことがあった。

 

名産品などはなく、観光地に向かう途中で通る町、旅行客が通り過ぎていく場所である。やがて大きな道路が別に出来て、旅行客は通り過ぎることもなくなってしまった。ぼくは十五年住んだが、仲の良い友人は出来なかった。

 

 

ぼくは中学生にあがるさい、中学受験を試みて、町からの脱出を図ることにした。が、母のうちにそんなお金はありませんの一言で、あえなく失敗。高校受験にて、町からの脱出に成功する。そしてその十年後、実家が別の町へ引っ越した。だから今のぼくは、自分が昔住んでいたふるさとに、行く用事はない。

 

それでもぼくは思う。あの場所が自分のふるさとなんだと思っている。なんでだろう?自分の中の体感として、ふるさととなると、どうしても自分が苦手だったあの町が思い出されてしまう。なんでだろう?今のぼくの人格の根幹を作ったのはあの町なんだろうか。

 

田舎だから、自分のふるさとが好きではないのだろうか?きっと違うと思う。

 

あの町の人が苦手で、当時、当時の自分があまり好きではなかった。何かにつけて文句ばかり言っていたと思う。が、自分から行動にうつしたりはしていなかった。今考えてみても、ろくな奴ではなかったと思う。だから、ふるさとのことを考えると、どうしても当時の自分のことも思い出してしまう。

 

だからふるさとは、ぼくにとって恥部のような・・・。うん?違和感である。十代の頃のぼくは、ふるさとが苦手だった。ただ、今のぼくはふるさとを考えると、十代の頃の自分を思い出すから、苦手だと思っている。ふるさとを苦手に感じる理由が変化しているではないか!多少なりぼくも、成長しているのだろうか?

 

 

ぼくはふるさとを苦手に感じる。それでも好きなところもあった。空が綺麗だった。中学生時代の夏休み、部活の帰りだ。周りは田んぼ、一本道が続く。別にぼくの帰り道に、その道は含まれていない。それでもぼくは、遠回りしてその道を通った。周りに建物はない。車も走ってこない。この世界にいるのはぼくだけだと勘違いできる。青空は高く、横にもひろがっている。遠くに山が見える。ぼくは自転車を止めて、空を見ていた。

 

 

ぼくは今年の夏、ふるさとに行ってみることにした。今の自分の実家から、車で一時間以上かかる。中学生時代に見た空を、また見てみたかったのだ。そして、変化していないであろう空を見ることによって、成長した自分を確かめてやりたかったのだ。が、ぼくの計画はあまかった。ぼくがふるさとに着いた時には、辺りは夜だった。青空はもう、終わってしまっていた。

 

 

それでもぼくは、道の脇に車を止めて、空を見上げていた。星が綺麗だったからだ。星空がとても綺麗だったからだ。きっとぼくが住んでいた時だって、星空は綺麗だったんだと思う。相変わらず、ずっと綺麗だったんだと思う。結果、ぼくのふるさとは、本当はぼくが思っている以上に、本当はいいところだったんだろうな~とか、思ってみたりしてみました。とさ。