多様性のある社会へ、で思うこと
多様性のある社会を目指してそんな話を聞くようになって数年が経った気がする。なにかっちゃ、ダイバーシティである。特に文句はない。
人間を個人ではなく、組織とか全体とか、会社って単位で考えたなら、多様性がある方が生き残りやすいんだと思う。
小さい小魚は大きな群れをつくって海の中を泳ぐ。大きな魚に襲われたとしよう、みんながみんな同じ方向を向いていたなら、全滅してしまう。
色んな方向を向いている者がいた方が、群れとして生き残る確率は高い。
以前クローン羊が話題になったことがあった。もし仮に、自分のクローンを作ったとしよう。そして、世界の人口と同じ数の自分がいるとする。気味の悪い話だでも続けます。
で、世界と自分で喧嘩になったとしましょう。自分一人が、たくさんいる方のチームは負けるでしょう。>
これは仮に、どこの誰が世界中の人と同じ数になったとしても、いっしょだと思う。負けるはずだ。
アーノルド・シュワルツェネッガーだってクリスチアーノロナウドだって、ヒラリー・クリントンだって、そうだろう。諸葛亮孔明だったら、違うのだろうか?あとは勝手に思い浮かべてほしい。
すべての物事を世界一のレベルでデキる人なんていないだろう。一時は勝つことはデキる人もいるのかもしれない。
それが十年、二十年、百年単位で考えたりしたらどうだろうか?困難だろう。なんだか種自体が滅びそうだ。
赤レンジャー!
青レンジャー!
黒レンジャー!
黄レンジャー!
桃レンジャー!
熱血漢だが空気の読めない、赤レンジャー!
沈着冷静だが気弱な、青レンジャー!有能だが団体行動のとれない、黒レンジャー!おっちょこちょいだが、みんな大好き、黄レンジャー!天然なところもあるが、やさしい、桃レンジャー!
みんな必要なのだ。ちなみに黄レンジャー! カレー大好きです。
だから、時々喧嘩とかしながらも、仲良くやっていく必要があるんだろうと思う。
多様性があったほうが、誰にとっても基本的には生きやすい確率が高いのだろう。そうは言っても難しいだろう。
天才バカボンの世界じゃ、みんながみんな、立場が平等だ。
本気で,みんながみんな、幸せになれるといいなと思うことがあるが、その数十秒には誰かにイライラしていたりもする。
田舎の両親に、絵が上手になりたいんだと伝えてみた。そして生物多様性の話をしてみた。
そんなことより嫁を探せと言っていた。そりゃそうだなと、ぼくは頷いた。
日ごろ、ダイバーシティの重要性を口にする上司に、絵の練習がしたいから、いまのぼくのポジションを変えみませんかと提案してみた。
上司がやさしい口調で未来について語ってくれた。大人な行動に、ぼくは感心した。
その時、その時、今の自分を助けてくれるのは、いつだって過去の自分だった気がする技能だったり、コミュニケーション能力ということも含めてだ。あの人と仲良くてよかったな的なこともありつつだ。
未来のぼくは、今のぼくを助けに来てくれたことはない。きっと今に忙しいのだろう。
今のぼくが、過去のぼくを助けにもいかない。行き方もわからないし、とりあえず何とかなってるから、今のぼくがいるわけであり。
きっと未来のぼくも、そんな感じなのだろう。
なんだかんだと、本気で探したなら、自分の居場所と言うのは、どこかにはあったりするような気もする。ただ、探せるだけ幸せだったりするのかもしれない。
ここまでの話、何かを言っているようで、内容のあることは何も言っていないと思う。
そもそも五レンジャーのたとえ話は、本当に必要だったのだろうか?
春っぽい話だ。どこかおぼつかない。ふらふらと千鳥足だ。そうだ。春なのだ。
相田みつを氏はすごい名言を残された。
だって人間だもの
自己肯定感がハンパない。春、まだまだ温暖の差があります。体調管理は大切です。健康がいちばんです。
結局なにが言いたかったのか考えてみる。わからない。いや、もうわからない。だ。
だって春だもの。春たゆたう。だって人間だもの!健康で楽しく生きていけたなら、幸いだ。
レッツゴー
ブレイクスルー!
ではでは。
最後まで読んで頂き、
ありがとうございました。